統計学に関する逸話

P値

P値に関する逸話で有名なのは、統計学者ロナルド・A・フィッシャー(Ronald A. Fisher)の逸話です。フィッシャーは、1920年代に「帰無仮説検定」の枠組みを提唱し、その中でP値(有意確率)の概念を導入しました。

逸話の中でよく語られるのは、フィッシャーが最初に提案した「有意水準0.05」の基準です。彼はこの基準を「帰無仮説が正しいと仮定したときに、そのデータが観察される確率が5%以下であれば、帰無仮説を棄却する」という目安として導入しました。興味深いことに、フィッシャー自身はこの0.05という値を絶対的な基準としてではなく、あくまで一つの目安として提案しただけでした。

しかし、現在では多くの研究分野で「P値0.05未満」が統計的有意性の基準として広く使われるようになり、それが標準として定着しました。フィッシャー自身は後に、「P値の解釈には慎重であるべきだ」と警告しましたが、統計学の世界ではこの基準が長く使われ続けています。

さらに、統計学における有名な逸話の一に「ミルクティー実験」があります。

この逸話は、P値や仮説検定の概念を説明する際によく使われます。

逸話の内容は以下の通りです。

フィッシャーの同僚であったドロシー・ウッド(Dorothy Wrinch)という女性が、紅茶にミルクを注ぐ順序によって味が変わると主張しました。具体的には、彼女は「ミルクを先にカップに入れてから紅茶を注ぐ」のと、「紅茶を先に入れてからミルクを注ぐ」のでは、味が違うと感じることができると言いました。

フィッシャーはこれを検証するために実験を行いました。彼はドロシーに、どちらの順序で作られたかがわからない8杯のミルクティーを提供し、彼女がどちらの方法で作られたかを当てられるかどうかを試しました。

この実験は、仮説検定の典型例となります。フィッシャーは、「ドロシーが順序を当てることができる」という帰無仮説を設定し、もし彼女が正確に答えられるならば、その結果は偶然ではなく、彼女が本当に順序を区別できることを示唆するものとしました。

結果として、ドロシーは8杯中7杯を正確に識別することができました。この結果は、フィッシャーが設定した有意水準(0.05)を下回る確率で偶然起こるものであったため、フィッシャーは帰無仮説を棄却し、ドロシーが順序を区別できる能力を持っていると結論づけました。

この「ミルクティー実験」は、仮説検定の基本的な考え方やP値の解釈を理解するための良い例として、現在でも統計学の授業や書籍で紹介されることがあります。

回帰分析の名前の由来

平均への回帰(regression to the mean)に関する逸話として、フランシス・ゴルトン(Francis Galton)の「背の高い親と背の低い子ども」の研究がよく知られています。ゴルトンはこの概念を提唱し、統計学における回帰分析の基礎を築いた人物です。

ゴルトンは19世紀のイギリスで、人間の身長の遺伝について研究を行っていました。彼は、背の高い親を持つ子どもは一般的に背が高くなる傾向があることを発見しましたが、同時に「背の高い親の子どもは、平均して親ほど背が高くならない」という現象にも気付きました。これが「平均への回帰」として知られる現象です。

具体的には、ゴルトンは次のようなパターンを観察しました:

背が非常に高い親を持つ子どもは、親ほど背が高くなく、集団の平均身長に近づく傾向がある。
背が非常に低い親を持つ子どもは、親ほど背が低くなく、やはり集団の平均身長に近づく傾向がある。
この現象を説明するために、ゴルトンは「回帰」という用語を使用しました。彼は、子どもの身長が親の身長に対して平均に回帰するということから、「平均への回帰」という概念を生み出しました。彼の研究結果は、「回帰分析」という統計手法の名称にも影響を与えています。

ゴルトンの研究は、遺伝に関する理解を深めただけでなく、平均への回帰の概念が統計学全般に広がるきっかけとなりました。現在、この概念は多くの分野で重要な役割を果たしており、特に予測や因果関係の分析において重要視されています。

平均への回帰の理解が不足していると、極端な事象が続くことを予測する際に誤った判断をするリスクがあります。この逸話は、統計データを解釈する際に、偶然の変動や極端な値がどのようにして「平均に戻る」かを理解する上で重要です。

ゴルトンと進化論の提唱者といわれるチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)は、親戚関係にありました。

ゴルトンはダーウィンの従弟にあたります。具体的には、ゴルトンの母親とダーウィンの母親が姉妹であったため、彼らは母方のいとこ同士です。

この親戚関係は、二人の学問的な影響にも表れています。ダーウィンは進化論を提唱し、生物が自然選択によって進化するという理論を広めました。一方、ゴルトンは遺伝や統計学の分野で多大な貢献をしましたが、その思想にはダーウィンの影響が色濃く見られます。

ゴルトンは、ダーウィンの進化論に触発されて「優生学(Eugenics)」の考えを発展させました。彼は、遺伝的な特性が世代を超えてどのように伝わるかに強い関心を持ち、「人間の特性は遺伝的に改良できる」と考えました。彼の優生学の考えは後に多くの議論を引き起こしましたが、その背景にはダーウィンの進化論がありました。

また、ゴルトンは「自然と養育」の問題にも取り組み、これが遺伝と環境の相互作用についての議論を呼び起こしました。彼の研究は、統計学的手法を用いて遺伝のパターンを解析しようとするもので、回帰分析や相関係数といった統計学の概念を生み出しました。

このように、ゴルトンとダーウィンの関係は単に親戚関係にとどまらず、彼らの学問的な業績にも深い影響を与え合ったものといえます。