プラナリアの実験から学ぶ「因果律」- 当たり前を疑う知の探求

こんにちは。ゆうせいです。

突然ですが、皆さんは「原因と結果」という関係、つまり「因果律」を疑ったことはありますか?「ボタンを押したから電気がついた」「勉強したからテストで良い点が取れた」。私たちの世界は、このような因果律で満ち溢れているように思えますよね。

でも、本当にそうでしょうか?もしかしたら、それは私たちがそう思い込んでいるだけなのかもしれません。

今回は、驚くべき能力を持つ生き物「プラナリア」の実験をきっかけに、「因果律」という壮大なテーマを巡る知の冒険に出かけましょう!生物学から哲学、そして最先端のAIや複雑な世界の話まで、一緒に考えていきましょう!

因果律を「理解」するプラナリア?

さて、まずは今日の主役であるプラナリアについて紹介させてください。プラナリアは、川の上流などに住んでいる、体長数ミリから数センチほどの、再生能力が非常に高いことで有名な生き物です。体を真っ二つに切っても、それぞれが完全な個体に再生するんですよ。驚きですよね!

そんなプラナリアですが、実は「学習」ができるのではないか、と考えた科学者たちがいました。そして、ある有名な実験が行われたのです。

それは、こんな実験です。

  1. プラナリアに光を当てる。
  2. その直後に、弱い電気ショックを与える。
  3. これを何度も何度も繰り返す。

プラナリアにとって、電気ショックはもちろん嫌なものです。だから、電気ショックを受けると体をキュッと縮こまらせて反応します。

この実験を繰り返していると、プラナリアはどうなると思いますか?

なんと、電気ショックを与えなくても、光を当てただけで体を縮こまらせるようになったのです!

これは、プラナリアが「光が当たると、その後に嫌な電気ショックが来る」という「原因(光)」と「結果(電気ショック)」の関係を学習した、と考えることができます。まるで、「この光はヤバい!」と理解したかのようですよね。

このような学習のメカニズムを、専門用語で「古典的条件付け(classical conditioning)」と言います。ロシアの生理学者イワン・パブロフが行った「パブロフの犬」の実験が有名ですね。ベルを鳴らしてから犬にエサを与えることを繰り返すと、犬はベルの音を聞いただけでよだれを垂らすようになる、というあれです。

プラナリアの実験は、こんなに単純な生き物でさえも、ある種の因果関係を学習できることを示唆していて、とても興味深いですよね。

ちょっと待って!本当に「因果」を理解したの?

プラナリアは、見事に「光」と「電気ショック」を結びつけました。でも、ここで一度立ち止まって考えてみましょう。プラナリアは、私たち人間のように「光が原因で、電気が結果なのだ」と、その法則性を本当に「理解」したのでしょうか?

もしかしたら、ただ単に「光」と「電気ショック」が同時に起こることが多かったから、体が勝手に反応するようになっただけかもしれません。プラナリアの頭の中に、「因果律」なんていう難しい概念はないかもしれませんよね。

この疑問は、実は私たち人間にも当てはまる、とても深遠な問いにつながっていきます。

「当たり前」を疑ってみよう!ヒュームの懐疑論

私たちが普段、当たり前のように信じている因果関係。例えば、「太陽は明日も東から昇る」と、誰もが信じていますよね。なぜなら、昨日も一昨日も、ずっとそうだったからです。

しかし、18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームは、この「当たり前」に鋭いツッコミを入れました。

「今までずっとそうだったからといって、明日も絶対にそうなるとは限らないじゃないか!」と。

考えてみれば、その通りだと思いませんか?私たちが経験してきたのは、あくまで過去の出来事です。「Aが起きた後に、Bが起きた」という事実を何回観測しても、それは「AがBの原因である」ことの絶対的な証明にはなりません。未来永劫、その関係が続く保証はどこにもないのです。

これを「帰納法の問題」と言います。帰納法とは、いくつかの個別の事例から、一般的な法則を見つけ出そうとする考え方のことです。私たちの科学や日常生活は、この帰納法に大きく依存しています。しかし、ヒュームは、その土台がいかに脆いものであるかを指摘したわけですね。

「相関関係」と「因果関係」は違う!

因果律を考える上で、もう一つとても大切な考え方があります。それは、「相関関係は、因果関係を意味しない」ということです。

なんだか難しそうに聞こえますか?大丈夫、例えを使って説明しますね!

例えば、「アイスクリームの売上が上がると、水難事故の件数も増える」というデータがあったとします。このデータだけを見ると、「アイスクリームを売ることが、水難事故の原因だ!」と考えてしまう人がいるかもしれません。

でも、本当にそうでしょうか?違いますよね。本当の原因は、おそらく「気温の上昇」でしょう。

  • 気温が上がる → アイスが食べたくなる人が増える → アイスの売上が上がる
  • 気温が上がる → 海やプールに行く人が増える → 水難事故が増える

このように、「アイスの売上」と「水難事故の件数」は、両方とも「気温の上昇」という共通の原因によって引き起こされた結果です。両者の間には、あたかも関係があるかのように見えますが(これが相関関係です)、一方がもう一方の原因になっているわけではありません(因果関係ではない)。

この相関の強さを測る指標として、「相関係数」というものがあります。相関係数は-1から1までの値をとり、1に近ければ強い正の相関、-1に近ければ強い負の相関があることを示します。

数式で書くと、以下のようになります。

latexr=fractextCov(X,Y)sigma_Xsigma_Y

数式の記号を日本語に置き換えると、このようになります。

latexr=fracXとYの共分散(Xの標準偏差)times(Yの標準偏差)

大事なのは、この相関係数がたとえ1に近くても、それが直接「因果関係」を示すわけではない、ということです。常に「見えない別の原因が隠れているのではないか?」と疑う視点を持つことが重要です。

なぜ「因果律を疑う」ことが大切なのか

一歩立ち止まって「当たり前を疑う」ことには、大きなメリットがあるのです。

因果律を信じることのメリット・デメリット因果律を疑うことのメリット・デメリット
メリット・素早い意思決定ができる
・経験から効率よく学べる
・精神的に安定しやすい
・物事の本質を見抜ける
・新しい発見や創造につながる
・誤った判断や偏見を避けられる
デメリット・短絡的な判断をしがちになる
・偏見やステレオタイプに陥りやすい
・想定外の事態に対応しにくい
・意思決定に時間がかかる
・常に疑うことで精神的に疲れることがある
・行動に移せなくなることがある

因果律を信じることは、生き延びるための知恵です。一方で、その「思い込み」が強すぎると、偏見を持ったり、本当の原因を見逃したりします。それに対して、因果律を疑うことは、私たちをより深い思考へと導き、科学の進歩のように、新しい発見をすることができるかもしれません。

この話、AIの世界につながります

さて、ここまで「因果律」という、少し哲学的で、生物学的なお話をしてきました。実はこの話、ここで終わりではないんです。この「因果律」をめぐる問いは、現代の最先端テクノロジーである「機械学習(Machine Learning)」の世界と、ものすごく深く、そして熱く!関わっているのです。

機械学習とは「コンピューターに大量のデータを与えることで、データに潜むパターンやルールを自動的に学習させる技術」のことです。この仕組み、光を当てられ続けたプラナリアに似ていませんか?

プラナリアは経験から行動パターンを学習しました。機械学習も同じように、「大量のデータ」という経験から、ある「パターン(ルール)」を見つけ出すのです。その意味で、現代のAIは、いわば「超高性能なプラナリア」。膨大なデータから、そこに潜む微細な「相関関係」を見つけ出す天才なのです。

しかし、ここに大きな落とし穴があります。そう、「相関関係は、因果関係を意味しない」という、あの重要なルールです。

機械学習は、データの中にある相関関係を見つけ出すのは得意ですが、それが本当に因果関係なのかどうかを自ら判断することは、基本的にはできません。例えば、AIがある病気の予測に「特定の地域に住んでいること」というデータを使ったとします。これは相関関係であって、住所が病気の原因ではありません。このAIの判断を鵜呑みにすれば、不公平で危険な結果を招きかねません。

そこで今、非常に注目を集めているのが「因果推論(Causal Inference)」という分野です。これは、AIを「超高性能なプラナリア」から、物事の本質を理解しようとする「科学者」へと進化させる試み、と言えるかもしれません。因果推論は、単なる相関を超えて「何が原因で、何が結果なのか」を明らかにしようとします。この技術が発展すれば、より公平で、信頼性の高いAIが生まれるはずです。

さらに先へ:複雑で予測不能な世界

ですが、私たちの旅はまだ終わりません。世界は、私たちが考えているよりも、もっとずっと複雑で、予測不可能な側面を持っています。そこで登場するのが、「複雑系(complex systems)」と「確率論(probability theory)」です。

空を飛ぶ鳥の群れを思い浮かべてみてください。一羽一羽の鳥は単純なルールで動いているのに、群れ全体としては予測不能で美しい動きを見せます。このように、個々の要素は単純でも、それらがたくさん集まって相互作用することで、全体として全く新しい、複雑な性質が生まれるシステムを「複雑系」と呼びます。

複雑系の世界では、「A→B」のような単純な因果律は通用しません。あまりにも多くの要素が、複雑にお互いに影響を与え合っているからです。このような、個々の要素の性質の総和からは予測できない、全体として現れる新しい性質を「創発(emergence)」と言います。

では、複雑な世界の出来事は、もう誰にも予測できないのでしょうか?そこで登場するのが「確率論」です。

確率論は、「絶対にこうなる!」という確実な予測を目指す代わりに、「どれくらいの確率で、そうなりそうか」という可能性を記述するための、非常に強力な数学の言葉です。天気予報の「降水確率80%」が良い例ですね。

この考え方を因果律に当てはめると、「確率的因果律(probabilistic causality)」という考え方になります。ある原因は、たった一つの確実な結果を生むのではなく、様々な結果が起こる「確率」を変化させる、と考えるのです。「喫煙」という原因が「肺がんになる」確率を大幅に上昇させるように。私たちの身の回りの問題の多くは、この確率的な因果律で捉える方が、より現実に近いと言えるでしょう。

まとめ:これからの学習のために

プラナリアから始まった私たちの旅は、哲学の世界を通り抜け、最先端のAI技術、そしてこの複雑で確率的な世界にまでたどり着きました。

単純な因果律から、相関と因果の違いへ。そして、AIにおけるその問題点。さらに、単純な因果律そのものが通用しない複雑系の世界と、そこで羅針盤となる確率論的な考え方。世界の見え方が、少しずつ、しかし確実に変わってきたのではないでしょうか。

一つの原因が予測不能な結果を生む「複雑系」。そして、その不確実さの中で、最善の道を探るための知恵である「確率論」。これらは、現代を生きる私たちにとって、非常に重要な教養と言えるかもしれません。

この壮大な知の冒険に、さらに深く分け入ってみたいと思ったあなたへ。

  • 科学哲学:「科学とは何か」「科学的な正しさとは何か」を考える学問です。カール・ポパーの「反証可能性」などの考えに触れてみると、科学の見方が変わるかもしれません。
  • 統計学・データサイエンス:「相関と因果」の問題は、これらの分野で非常に重要なテーマです。データを正しく読み解き、騙されないためのスキルを身につけることができます。
  • 認知心理学:人間がどのように物事を認識し、判断するのかを探る学問です。「認知バイアス」について学ぶと、いかに私たちが思い込みに囚われやすいかが分かって面白いですよ。
  • 機械学習(Machine Learning):実際にコンピューターがどのようにデータから学習するのか、その仕組みを学んでみましょう。簡単なプログラムを動かしてみると、その面白さと限界の両方が見えてきます。
  • 因果推論(Causal Inference):少し専門的になりますが、AIの未来を考える上で欠かせない分野です。統計学や機械学習の基礎を学んだ後に挑戦してみると、世界がさらに広がって見えるはずです。
  • 複雑系科学(Complexity Science):生命、社会、経済など、様々な現象を「複雑系」という視点から読み解く学問です。分野を横断したダイナミックな世界観に触れることができます。
  • 確率論・ベイズ統計学(Probability Theory / Bayesian Statistics):不確実な情報から、いかにして合理的な判断を下すかを探る学問です。確率論は、ベイズ統計学へと発展し、現代のAI技術を支える重要な柱の一つとなっています。

世界は、単純な原因と結果の連鎖でできているわけではありません。無数の要素が相互作用し、常に変化し続ける、豊かで複雑な場所です。その複雑さ、不確実さを恐れるのではなく、それを理解するための新しい「言葉」や「レンズ」を手にすることで、私たちはもっと賢く、そしてしなやかに、この世界と向き合っていくことができるはずです。あなたの知の冒険は、まだ始まったばかりです!

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投稿者プロフィール

山崎講師
山崎講師代表取締役
セイ・コンサルティング・グループ株式会社代表取締役。
岐阜県出身。
2000年創業、2004年会社設立。
IT企業向け人材育成研修歴業界歴20年以上。
すべての無駄を省いた費用対効果の高い「筋肉質」な研修を提供します!
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