交渉はNOから始まる ── IT営業のためのネゴシエーション基礎(目的・目標・撤退ライン・BATNA)

こんにちは。ゆうせいです。

IT営業向け連載の第8回です。前回は、断り文句にYES, ANDで返す方法をお伝えしました。受け止めた後、価格や条件の話になれば、そこからは交渉(ネゴシエーション)の領域です。今回は、IT営業のための交渉の基礎として、交渉への苦手意識の正体、交渉前の鉄則、目的と目標と撤退ラインの決め方を解説します。

読者の疑問:値引きを求められると、つい即答してしまう

IT営業の多くが、交渉に苦手意識を持っています。よく聞く声を挙げます。

  • 値引きを求められると、その場で「分かりました」と言ってしまう
  • お客様の方が業務に詳しく、対等に話せない
  • 関係を壊したくないので、無理な要求も断れない
  • 上司やSEの意見で、お客様と決めた条件が覆る
  • 落としどころが分からず、相手の言い値になる

これらの苦手意識には、それぞれ対処法があります。共通するのは、交渉の場に入る前に決めておくべきことを決めていない、という点です。

結論:交渉は競争ではなく共創。目的・目標・撤退ラインを決めてから臨む

先に結論をお伝えします。

交渉とは、相手を打ち負かすことでも、相手の要求を飲むことでもありません。お互いの共通利益を見つけ、一緒に合意を作ることです。交渉は競争ではなく共創です。

そのために、交渉の前に3つを決めます。目的(定性的なゴール)、目標(定量的な数字)、撤退ライン(これ以下なら合意しない線)です。この3つがあると、交渉の場の空気に流されずに済みます。

用語の説明:3つの交渉スタイル(アサーション)

人間関係の持ち方には、3つの型があります。この分類をアサーションと呼びます。

スタイル振る舞いIT営業での結果
アグレッシブ自社の都合で押し切る受注しても導入後に揉め、次の案件を失う
ノン・アサーティブ相手の要求をすべて飲む赤字案件や無償対応が常態化する
アサーティブ自社も相手も大切にし、条件を交換する長期の信頼と適正な利益が両立する

目指すのはアサーティブです。自分の主張を伝えたうえで、相手の立場も考え、お互いが受け入れられる条件を探します。

多くのIT営業は、ノン・アサーティブに寄りがちです。「断る」ことと「関係を切る」ことは別ですが、同じだと感じてしまうからです。

交渉への苦手意識とその対処

冒頭に挙げた苦手意識に、対処法を添えます。

苦手意識対処法
値引きを即答してしまう撤退ラインを決めてから商談に臨む
お客様の方が業務に詳しい仮説とデータで「対等な相談相手」になる
関係を壊したくない「断る」と「関係を切る」は別物だと理解する
上司やSEの意見で覆る条件のドラフト段階で社内の方向性を合わせる
落としどころが分からない価格が決まるロジック(工数、原価、相場)を押さえる
相手の反応に影響される一人で交渉せず、同席者を立てる

交渉前の5つの鉄則

交渉の場に入る前に、次の5つを確認します。

  1. 不要な交渉はしない。費用対効果を考え、交渉する価値がない案件では交渉しない
  2. 交渉相手を選ぶ。決裁権のない担当者と条件を詰めても、後で覆る
  3. すべての要求に応える必要はない。全員を満足させる責任は、あなたにはない
  4. 「合意しない」という選択肢を常に持つ。合意しないことも立派な結論である
  5. 相手を変えられないなら、自分の提案を変える。相手の考えを変えようとするより、案を動かす方が早い

1と2は、押し切りがちな(アグレッシブ寄りの)営業が意識すべき鉄則です。3と4は、要求を飲みがちな(ノン・アサーティブ寄りの)営業が意識すべき鉄則です。

練習問題1

次の営業の対応は、アグレッシブ、ノン・アサーティブ、アサーティブのどれでしょうか。

  1. お客様から「15%値引きしてほしい」と言われ、その場で「分かりました」と答えた
  2. お客様から「15%値引きしてほしい」と言われ、「当社の見積もりは適正です。値引きはできません」と答えた
  3. お客様から「15%値引きしてほしい」と言われ、「15%は難しいのですが、保守契約を3年でお約束いただければ、初期費用を5%調整できます」と答えた

解答と解説

1はノン・アサーティブです。相手の要求をそのまま飲んでおり、自社の利益を考えていません。

2はアグレッシブです。自社の主張を通そうとするだけで、相手の事情を考慮していません。

3はアサーティブです。自社の条件(保守契約)を伝えたうえで、相手の要求(値引き)に一部応える案を出しており、条件を交換しています。

交渉の目的:共通利益を見つける

交渉の目的は、共通利益です。お客様と自社の両方が得をする合意を作ることです。

交渉には、3つの鉄則があります。

  • 交渉は競争ではない
  • 交渉とは共創である。目的は長期的な視点、上位の視点で考える
  • しかし、交渉はNOから始まる。お客様のNOをもらってからが交渉である

3つ目は特に重要です。お客様から「高い」「今は無理」と言われたとき、多くの営業は「断られた」と感じます。しかし、それは交渉の始まりの合図です。NOの理由を聞き、条件を組み直すところから、共創が始まります。

目的・目標・撤退ラインを決める

交渉の前に、次の3つを書き出します。

目的(定性)

共通利益を、大所高所から考えます。「的」の字が示すとおり、方向を表す定性的なものです。

例:「お客様の業務を止めずに、デジタル化を前に進める」「グループ全体で使える仕組みにする」

目的を共有できると、価格以外の話ができます。

目標(定量)

数字と期限で決めます。「標」の字が示すとおり、目印になる定量的なものです。

例:「値引きは最大5%まで」「保守契約を含めて受注する」「来期予算で第1フェーズに着手する」

数字があると、交渉の場で態度が一貫し、お客様から信頼されます。

最悪の想定と撤退ライン

最悪の事態をあらかじめ想定し、妥協案と撤退ラインを用意します。

例:「無償の仕様追加が常態化する」「保守がただ働きになる」

最悪を想定しておくと、その事態を避けるための妥協案を準備でき、同時に「ここまで来たら合意しない」という撤退ラインが決まります。撤退ラインがあるからこそ、冷静に粘れます。

用語の説明:BATNAとZOPA

撤退ラインを決めるときに使う2つの用語を紹介します。

BATNA(最善の代替案)

Best Alternative To a Negotiated Agreementの略で、合意できなかったときに取る、いちばん良い別の道のことです。

例:PoC(概念実証)だけで一旦区切る、他の案件にSEを配置する、来期に再提案する

BATNAが強いほど、交渉で無理な譲歩をせずに済みます。「この案件を落としても、他に仕事がある」という状態が、交渉力の源になります。

ZOPA(合意可能領域)

Zone Of Possible Agreementの略で、自分の撤退ラインと相手の撤退ラインの間にある、合意できる範囲のことです。

例:当社の下限が95万円、お客様の予算上限が100万円なら、95万円から100万円がZOPA

自分のBATNAを明確にすると、合意の最低ラインが定まります。相手のBATNAを推測すると、相手がどこまで譲れるかが見えてきます。両方が分かると、ZOPAが見えます。

練習問題2

次のケースについて、目的、目標、撤退ライン、BATNAを書き出してください。

ケース:既存のお客様から、来年度のシステム保守契約について「保守料を2割下げてほしい」と言われた。現在の保守料は年間600万円。保守には2人のSEが月に延べ10日間対応している。他の案件からも、このSEに対する要員の引き合いが来ている。

解答例

  • 目的:お客様のシステムを安定して運用し続け、次の更新案件でも相談相手であり続ける
  • 目標:保守料の値引きは最大5%(年間570万円)まで。値引きする場合は、対応範囲の明確化(対応時間の限定、対応回数の上限)とセットにする
  • 撤退ライン:年間540万円(1割引き)を下回る場合は、対応範囲を縮小するか、契約を見直す
  • BATNA:保守に充てているSEを、引き合いの来ている他案件に配置する

この整理があると、「2割下げてほしい」と言われた瞬間に「分かりました」と答えることはなくなります。

実務での使い方:交渉準備シート

交渉の前に、次の項目を1枚にまとめてください。

項目記入内容
目的(定性)(記入)
目標(定量)(記入)
最悪の想定(記入)
撤退ライン(記入)
自分のBATNA(記入)
相手のBATNA(推測)(記入)
ZOPA(推測)(記入)

このシートは、社内の上司やSEと共有してください。交渉の前に社内の方向性を合わせておけば、お客様と決めた条件が後から覆ることを防げます。

注意点:交渉準備でやりがちな失敗

  • 目標を「できるだけ高く」のように数字で決めない
  • 撤退ラインを決めずに交渉の場に入る
  • 自分のBATNAを考えず、「この案件を落とせない」と思い込む
  • 相手のBATNAを考えず、相手の要求を言葉どおりに受け取る

4つ目は見落とされがちです。お客様が「他社は2割安い」と言っても、その他社に乗り換えるには移行の手間とリスクがあります。お客様のBATNAは、口で言うほど強くないことが多いものです。

まとめ

  • 交渉は競争ではなく共創であり、お客様のNOをもらってからが交渉の始まりである
  • 目指すスタイルはアサーティブ。自社も相手も大切にし、条件を交換する
  • 交渉の前に、目的(定性)、目標(定量)、撤退ラインを書き出す
  • BATNA(最善の代替案)が強いほど、無理な譲歩をせずに済む
  • 準備シートを社内で共有し、条件が後から覆ることを防ぐ

準備ができたら、次は交渉の場での進め方です。次回は、交渉を5つの要素(力関係、心理、論理、価値共創、妥協)に分けて、「価格が高い」への5つの返し方と、お金以外に交換できる交渉カードを解説します。

投稿者プロフィール

山崎講師
山崎講師代表取締役
セイ・コンサルティング・グループ株式会社代表取締役。
岐阜県出身。
海外放浪の末、2000年創業、2004年会社設立。
IT企業向け人材育成研修歴業界歴20年以上。
すべての無駄を省いた費用対効果の高い「筋肉質」な研修を提供します!
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学生時代は趣味と実益を兼ねてリゾートバイトにいそしむ。長野県白馬村に始まり、志賀高原でのスキーインストラクター、沖縄石垣島、北海道トマム。高じてオーストラリアのゴールドコーストでツアーガイドなど。現在は野菜作りにはまっている。